家族とは1

早速ですがみなさんは「家族」とは?
考えたことあるでしょうか?
「大切な存在?」「必要な存在?」「掛け替えのない存在?」
少数であると信じたいが、中には必要のない存在と思う人も
いることでしょう。
私は一人になったときに「ふと」考えてしまいます。
今、まさにその状況なのです。
嫁は実家の広島へ帰省中。
なぜかと言うと、おばあちゃんが亡くなってし告別式のため
家族で広島へ行ったのですが、もうすぐ嫁の妹の子供が産まれることもあり
嫁と娘はしばらく実家へいることにしたのです。

最近、月日が経つにつれてどんどん家族の存在が必要不可欠な存在であると、
強く感じるようになっています。
もちろん、お互いの両親や兄妹を含め色んな家族の存在が変化を与えてくれます。
このテーマはでは、生い立ちから心境変化を綴っていき「家族の大切さ」を
伝えれたらと思い立ち上げることにしました。
ごく一般的な心境だとはおもいますが
是非、読んでいただき人一人の心境変化を観察してみてください
(更新が遅くなるかもしれませんが、気長に待っていてください)よろしくお願いします^^
現在、愛知県で私と嫁と娘(3歳)と3人暮らしをしています。
娘が産まれるまでの約2年間は、嫁と二人で暮らしていました。
嫁はどう思ってたかはわからないが私は「幸せな日々」を
過ごしていました。
ただ、こんなに幸せでていいのか?とも思ったことは何度も
ありましたが。
2人暮らしだから、恋愛の延長線上だったかもしれません。
ただ、将来のことを考えたら「幸せ」だけの毎日だけでは
なかったのかもしれません。
この時「不安100」に対し「幸せ50」くらいのバランスでは
なかったのでしょうか?
一見、「幸せ50」では楽しくないのでは?と思うかもしれませんが
不安より、幸せの中身の方が濃いと考えているからです。

月日が流れ
幸運なことに私たちの間に「新しい命を授かることができました」
(妊娠するまではいろんな子授かりの神社に行って手を合わせました)
嫁が妊娠してからは今までとは大きく変わりました。
「幸せ」と「不安」の葛藤のバランスが変わったのです。
ついに!うちらの子供ができたんだ!「幸せ」
ちゃんと育てれるだろう生活できるのだろうか?「不安」
そんな思いで葛藤していたと記憶しています。
ただ「幸せ」も「不安」も向かった方向は一つでした。
「幸せだから、頑張ろう」
「不安だから、頑張ろう」
頑張るしかなかったのです。
この時「不安100」に対し「幸せ30」くらいのバランスでは
なかったのでしょうか?

妊娠してからは嫁は体の変化に対応していくのに、ほんとうに大変な
日々を送っていたことでしょう。
いろんな本を読んでみましたが大変さが伝わってきました。
女性からしたら「ほんとうの辛さがわかるわけない」と思うでしょうが、
ですが、私なりに辛さを理解しようと頑張りました。
男性には経験のできないことだからこそ、男性には理解できない
女性の底知れぬパワーを女性は持っているのでしょう。

そして、子が産まれる日。
朝、嫁から陣痛らしき痛みがあったかも?っと言ってました。
陣痛が始まってから10時間くらいは産まれないと聞いていたので、
今日の昼過ぎから夜中にかけてくらいだろうと判断し仕事へ行きました。
(もちろん嫁同意のもと)
が、仕事が始まる前に嫁に電話したところ・・・。
「痛い!」聞くと「間隔が短い」といいだしたので、
え?そんなに急に?っと思い、頭が混乱しそうになりながら安全を心掛け
ながら帰宅。
嫁の顔を見たとき「ほんとうにやばそう」でした。
すぐに、車で産婦人科へ移動しました。
「急がなければ」と「安全に」を頭を巡ってました。
横にいる嫁は陣痛がくると、すごい苦しみですが「大丈夫?」としか
声を掛けることができません。
産婦人科へ近づいたころには、陣痛の間隔が1分くらいと記憶しています。
到着しても陣痛の間隔が短かった為なかなか分娩室へは辿りつけませんでした。
嫁が分娩室へ入ってからは、私は「祈る」しかありませんでした。
この時、「不安100」「幸せ0」でした。

約1時間半後、
赤ちゃんの泣き声(さほど大きな泣き声ではありませんでした)がしました。
他の方も分娩室に入っていたのですが、「なんとなくこの泣き声は?」と感じ
ました。
そして数分後、私は呼ばれ「娘」と初対面をしました。
顔を合わせた瞬間「この子が、嫁と私の子供なんだ」っと強く感じました。
嫁は?「元気ですよ!」の声で、かなりほっとしました。
その時は、ほんの1分くらいしか娘の顔を見ることができませんでしたが、
時間が経つに連れて感情が込み上げてきました。
まずは、お互いの両親へ報告をしなければ!
報告後、嫁と少し話させてもらい。帰宅をすることしました。
(今日は子供と会えないと言われたため)
帰宅途中、
涙が勝手にでてきて、車の中でなにか「叫んだ」記憶があります。
目に涙が溜まりすぎ運転ができなかったのでコンビニに立ち寄った記憶もあります。
この時、「不安0」「幸せ100」でした。
強く心に誓ったことがあります。
「いろんな幸せ辛さを分かち合えって生きていくぞ!」
「嫁と娘の幸せのために、頑張るぞ!」
「この気持ちをいつまでも忘れないぞ!」
と、ついにスタートラインに立ったのです。
そして、親と子が存在する家族が誕生しました。